情報は爆発し,次の時代は知識(知恵)の時代
知識の体系化,構造化が必要である.
そのためにはスキルではなく基盤的な教養が大事.
知識社会の次は感性の社会だ...
こういった,次のフェーズに関する未来予測は数多い.
これを述べる有識者たちにとっては,仮にその発現内容が外れたとしてもリスクはゼロ.だからこういった未来予測がどんどんと世に反乱しているのだ.それに対して2つ感じることがある.
【1】こうだからこうなるだろう,という「A⇒B」構造
あまりにもシンプル(笑 選択肢はもっとないのかなあ..
あってもいいと思うが...
【2】いずれの未来予想のの共通点は,唯一「情報過多」という現象に端を発している点
みんながみんな,そこを出発点にしてるならそれは世論として確かなのだろう.つまりそれは現状の情報量は人間としてのキャパを超えているという事実を示しているのかもしれない.だから感覚的にみな「過多」を感じているのだろうね.
ただ,体系化とか構造化が必要って,本当にそうだろうかと思う.
情報が溢れてるからそれを整理整頓する必要がある,という論理はあまりにも単純すぎやしないか? むしろ,「これだけ情報が溢れているが,ヒトの脳に入るときはきちんとフィルターがかけられており,脳がパンクすることはない.」という事実のほうが感心に値する.
我々に入ってくる情報は明らかにキャパを超えた.単に生きるというレベルから,生きがい,幸せというレベルに移行するにしたがって必要な情報が増加したからじゃないだろうか.そしてその余分な情報が逆に我々に害を与えるレベルに達してしまったのだ.知の構造化や体系化はいらない.むしろ無条件にどんどん脳内に挿入される知(情報)に対しての「悟り」が必要なんだ.それはこれまでの延長上の考えではい.複雑なものを複雑なまま捉える必要がある.受け入れ必要がある.そいうセンスがこれからの時代に必要なのだろう.
無制限に降り注ぐ太陽からのエネルギーを人類がもっと有効に使うようになれない現状では,どうしても資源問題から抜け出せない.そして,世界の人口は増加傾向.結果,リソースをめぐる生存競争に突入するかもしれないが,逆に,人類は助け合い「共生(ともいき)」の境地に行き着くかも知れない.今はそういう分かれ道であって,AだからBという形で割り切れない状況だと思う.
情報は爆発し,次の時代は知識(知恵)の時代
知識の体系化,構造化が必要である.
そのためにはスキルではなく基盤的な教養が大事.
知識社会の次は感性の社会だ...
こういった,次のフェーズに関する未来予測は数多い.
これを述べる有識者たちにとっては,仮にその発現内容が外れたとしてもリスクはゼロ.だからこういった未来予測がどんどんと世に反乱しているのだ.それに対して2つ感じることがある.
【1】こうだからこうなるだろう,という「A⇒B」構造
あまりにもシンプル(笑 選択肢はもっとないのかなあ..
あってもいいと思うが...
【2】いずれの未来予想のの共通点は,唯一「情報過多」という現象に端を発している点
みんながみんな,そこを出発点にしてるならそれは世論として確かなのだろう.つまりそれは現状の情報量は人間としてのキャパを超えているという事実を示しているのかもしれない.だから感覚的にみな「過多」を感じているのだろうね.
ただ,体系化とか構造化が必要って,本当にそうだろうかと思う.
情報が溢れてるからそれを整理整頓する必要がある,という論理はあまりにも単純すぎやしないか? むしろ,「これだけ情報が溢れているが,ヒトの脳に入るときはきちんとフィルターがかけられており,脳がパンクすることはない.」という事実のほうが感心に値する.
我々に入ってくる情報は明らかにキャパを超えた.単に生きるというレベルから,生きがい,幸せというレベルに移行するにしたがって必要な情報が増加したからじゃないだろうか.そしてその余分な情報が逆に我々に害を与えるレベルに達してしまったのだ.知の構造化や体系化はいらない.むしろ無条件にどんどん脳内に挿入される知(情報)に対しての「悟り」が必要なんだ.それはこれまでの延長上の考えではい.複雑なものを複雑なまま捉える必要がある.受け入れ必要がある.そいうセンスがこれからの時代に必要なのだろう.
無制限に降り注ぐ太陽からのエネルギーを人類がもっと有効に使うようになれない現状では,どうしても資源問題から抜け出せない.そして,世界の人口は増加傾向.結果,リソースをめぐる生存競争に突入するかもしれないが,逆に,人類は助け合い「共生(ともいき)」の境地に行き着くかも知れない.今はそういう分かれ道であって,AだからBという形で割り切れない状況だと思う.